ヌサ・ドゥア・フィエスタ 2013

ヌサ・ドゥア・フィエスタ(ヌサ・ドゥア・フェスティバルとも呼ばれる)は、毎年ヌサ・ドゥア半島エリアで行われるイベントだ。
ヌサ・ドゥア地区は、観光コンプレックスとして開発された地区であり、このフェスティバルは観光客向けのアトラクションとして非常に好まれている。
食べ物やみやげ物を扱う観光物産展、スポーツ、芸能、芸術の公演といった内容で、バリ島だけでなく島外からの参加団体も多い。

f の参加するグンタ・ブアナ・サリ楽団は、今年のヌサ・ドゥア・フィエスタのクロージング・セレモニーで公演することになった。
インドネシアの数々の舞踊を取り入れた作品や、グルー・スカルノ・プトラ氏の創作した舞踊などを持参した。

今回のイベントは、kadek ferry ( f ) にとって、特別な気分を味わわせてくれた。
というのも、旧友であるグス・テジャ(=アグス・テジャ・セントサ、Agus Teja Sentosa).に久しぶりに会えたのだ。
アグスは、小学生の頃からの友人で、グンタ・ブアナ・サリでも一緒に楽器を演奏した仲。古き良き友である。


コーヒー・ブレイク グンタ・ブアナ・サリの奏者達と(左から f , Dekjus, Gus Teja, Ebit)

グス・テジャは、グンタ・ブアナ・サリが設立された1992年から楽団のメンバーであった。
あの頃、グス・テジャは f と同じこのバンジャール・カラー地区に住んでいて、一緒に出かけては、通り道の友達を誘って、みんなで自転車をこいでガムランの練習へ通ったのだった。
設立された頃のグンタ・ブアナ・サリ楽団は、今のバレルンでなく、プリ・カレラン宮殿で練習を行っていた。
練習の後、帰り道では、よく f の自転車のシートに、グス・テジャが座って、家から持ち出した竹笛スリンを、後ろで吹いていた。
わ~、懐かしい思い出がいっぱいだ!

グンタ・ブアナ・サリ楽団は、今年で結成21年になる。
メンバーの中には、既に楽団を辞めてしまったものも多く、現在は創立当時のメンバーだけでなく、若いメンバーも加入している。
グス・テジャの場合、楽団に8年在籍した頃、芸術大学(ISI Denpasar)への進学が決まってスケジュールが多忙になり、なかなか楽団に顔が出せなくなった。

だから、このヌサ・ドゥア・フィエスタでは、ちょっとした同窓会みたいな空気が流れた。
我々は、同じヌサ・ドゥア・フィエスタのクロージング・セレモニーの舞台に立った。
しかし、グス・テジャは、グンタ・ブアナ・サリ楽団としてでなく、彼自身が数年前に結成したワールド・ミュージックのグループとして演奏をした。
このグループ「グス・テジャ」は、現在バリ島では人気のあるグループで、子供から老人までが好んで聞いている。
この日も、「グス・テジャ」ファンがヌサ・ドゥア半島に、たくさん集まってきた。


グス・テジャのパフォーマンス(舞台裏より) すばらしい!!!

f は、これまで、CDでしか彼の作品を聞く機会がなかった。
出演待ちの舞台裏からではあったが、実際に耳にして、目にした「グス・テジャ」は、とても素晴らしいものだった。

我々のクロージング・セレモニーの出番は、夜であったが、セレモニーの開始は夕方の早い時間であった。
東ジャワや、中部ジャワの芸能や、アトラクションなども行われた。

半島の夕方は、暑い。海岸に近いこともあり、蒸す感じである。
早めの時間の出演者は、その暑さの中で次々と芸能を披露していくのだ。


わ~・・・白獅子の中に入っている人、どんなに暑いことだろう・・・

これは、ジャワからやってきたアクロバット。白獅子の踊りである。
観衆達は、大喜びでみていた。観衆には見知った顔もたくさんいる。
夜の出番の出演者達も、リハーサルを終えて自由時間のため、このアクロバットを観に続々と集まっていたのだ。


このカメラマン、ものすごく真剣に被写体を追っていた。彼はこの日、最初から最後まで会場に居た熱心な観客のひとりである。