ンガヤー(寺院祭オダランでのバリ舞踊と演奏)

オダラン

Om Suastiastu,

legong-jobog

2010年4月17日(土曜日)は、バリでは木や植物にお供え物をするトゥンプック・ウドゥーの日です。ここバンジャール・カラーでは毎回バンジャールを護る寺院の寺院祭「オダラン」と重なります。

今回のオダランは17日と18日の2日に渡って行われる大きめのオダランで(小さいオダランは1日間のみ)通常のオダランよりも芸能面で密なスケジュールが組まれました。

オダランの当日17日は、朝からいくつかの儀式が執り行われ、ガムラン演奏の奉納がありました。夕方からはブバリ舞踊の仮面舞踊、それ以外にもワリ舞踊としてバンジャールの少女達20名によるルジャン、同じく青年団から24名の青年が選ばれて集団のバリス・ジャゴ舞踊が奉納されました。演奏はバンジャールの成人男性による楽団「グルニタ・サリ(Gurnita Sari)」の手で行われました。

これらの神聖な儀式舞踊のあとは、バリバリアン舞踊。神とともに、人間も楽しむ芸能が奉納されます。楽団も踊り手も演者も、この日のために張り切って練習を行いました。この日は、ンガヤ(奉仕活動)の一環として、 m (井上真由美)はPKK(婦人会)楽団で演奏、私 f (kadek ferry)も男性楽団で演奏を行います。

まずPKK楽団によって、プシュパンジャリ舞踊、ヌラヤン舞踊、チェンドラワシ舞踊、チリナヨ舞踊の奉納。続いて男性楽団により「スンダ・ウパスンダ(Sunda-Upasunda)」という舞踊劇の奉納です。ボンドレスと呼ばれる役が笑いを交えながら進行させ、寺院に集まっている人々に大いに受けました。

こうして初日にはワリ舞踊、ブバリ舞踊、バリバリアン舞踊の全てが、それぞれバンジャールの人によって行われました。

Manis Odalan

翌18日はマニス・オダランです。この夜はバリバリアン舞踊の奉納に特別にスマル・プグリンガンの楽団である「ティルタ・サリ」が招待されました。バンジャールの寺院に呼ぶには、少々豪華すぎる客演ですが、実は随分昔のこと、ティルタ・サリは、このバンジャール・カラー集会場を公演会場として使っていた時期があり、その時の御礼も兼ねて、快くンガヤを引き受けていただきました。「ティルタ・サリ」の皆さんに、本当に有難うございました。

Post of Tirta Sari

また、特別に私と m が御礼を述べたい方がいます。
アナック・アグン・ラカ・アストゥティ(A.A.Raka Astuti)さん、地元ではグン・ビアン・ラカと呼ばれるティルタ・サリの踊り手で、現在は踊りの先生としても、活躍されています。

この方は、今回レゴン・ジョボグ舞踊を踊った m とアユに、一生懸命に稽古をつけてくれました。
mはプリアタン・スタイルを習っていましたが、レゴン・ジョボグだけは別のスタイル(タガス・カンギナン)で習っていました。今回ンガヤで踊る事が決まった際、ティルタ・サリの演奏ならばプリアタン・スタイルで!という話が起こり、アユと共に自主練習をしながら、グン・ビアン・ラカの元でも、プリアタン・スタイルに戻す努力をしていました。

私fは踊り手ではありませんが、バリ舞踊を観ていてバドゥンやタガス、プリアタンなど地域ごとに動き方や雰囲気に違いがあるのは判ります。彼女達の練習を見学に行った時、グン・ビアン・ラカは、二人の動きが揃うように踊りを直しながら、怒っていました。

「アユ!踊る時には扇子と指先を見なさい!正面は見ないで!」
アユはプリアタンの踊り子ですが、バリの芸術大学ISIに入って四年の間、舞踊を習っていました。意識しないと学校で習得したバドゥン・スタイルが踊りの中で現れてしまうのでした。またmも女性による男性舞踊のブバンチハンの踊り手であるため、レゴンにしては、ちょっと勇ましすぎる型が目立ってしまいます。

練習は、グン・ビアン・ラカが納得するまで、繰り返し繰り返し行われました。

ンガヤが行われた夜、グン・ビアン・ラカは、わざわざバンジャール・カラーに足を運んで来てくれました。mとアユの他に、グン・ビアン・ラカが指導した小さな生徒も踊る事になっており、心配で見に来たようです。楽屋裏には、もう一人、ニョマン・スラシさんも顔を出しました。ニョマンさんは、バンジャール・カラーの人で、グン・ビアン・ラカさんと共に、ティルタ・サリで現役で踊るレゴン・ジョボグの踊り手です。mとアユは、レゴンの大御所二人の登場に緊張しましたが、わざわざ声を掛けに来てくれた事を、大変嬉しく思いました。また、踊りが順調に行くようアドバイスももらい、同時にとても勇気づけられました。

こうして、 m とアユは、二人にとって初めて挑戦する演目「レゴン・ジョボグ」で舞台に立ちました。

レゴン・ジョボグ舞踊以外にも、この夜は楽曲スカール・ゲンドット、プシュパ・ムカール舞踊、バリス舞踊、レゴン・ラッサム舞踊、クビャール・トロンポン舞踊が奉納されました。
クビャール・トロンポンの踊り手アデは、mとアユ同様、バンジャール・カラーの舞踊家です。

イダ・サンヒャン・ウィディ・ワサ神の御加護で、寺院祭および芸能の奉納が無事終了したことを感謝します!

Om Santih, Santih, Santih, om

レゴン・ジョボグの物語

レゴン・クンティール舞踊でも使われている古典文学「ラーマーヤナ」から、 同じ兄弟の話が、名前を変えて取り上げられています。
あるとき、兄弟二人が洞窟に逃げ込んだ魔物を退治しようと、 まず兄のスバリが洞窟に入っていきます。
スバリは苦痛の末に魔物を退治することに成功しますが、兄が負けたと思い込んだ弟スグリウォによって、 洞窟に生き埋めにされてしまいます。
なんとか脱出したスバリは、弟が自分の国と妻を横取りする気でいると疑い、兄弟の戦いが始まります。
最後には真実を知った兄が、弟と仲直りをします。