カウィ・スワラ楽団 (セカ・ゴン・スリン)

セカ・ゴン・スリン・カウィ・スワラ楽団のデビュー – 23 Nov 2014

バンジャール・カラー地区にゴン・スリン楽器編成の少年達による楽団「カウィ・スワラ楽団」が生まれました。
ゴン・スリンとは、スリンという竹製の笛をメインに演奏する楽器編成のことで、静かな心地良い音を出します。

カウィ・スワラ楽団は、このたびのバンジャール・カラー地区の寺院であるチャトゥール・ブアナ寺院のオダランで、少女楽団である我等トゥナス・マラガウィと一緒にステージに上がり、デビューしました。

バンジャール・カラー地区の少年少女が全て同じ舞台にあがって演奏

この「カウィ・スワラ楽団」は、バンジャール・カラー地区に住むアーティストであるイ・マデ・ブラタ氏によって結成されました。

イ・マデ・ブラタ氏

この楽団を作る前に、こんなことがありました。
マデ・ブラタ氏が病気で家に居て、何もすることが無く、少々退屈していた時、偶然、家に置いてあった自分の学生(マデ・ブラタ氏は芸術大学の講師)が課題として作って提出した黒いスリン笛が目に入りました。
それを吹いていると、病気のことも忘れ、時間が経つのも忘れるくらい楽しく感じたそうです。
その時、ふと、このスリン笛を使って、子供達による楽団が作れないだろうか?と、思い立ったのがきっかけだったそう。

ちょうど、バンジャール・カラーの少年達は、古典芸能に接する機会が少ないなと感じていたため(同じ地区の少女達による舞踊や、ガムラン楽団結成を目の当たりにしていたのもあり)、これは良い案ではないか?と、自分でスリン笛を数本購入してきて、少年達に練習をつけ始めることとなりました。

最初は、たった数人だった少年達も、いまでは20人も集まるようになり
熱心な練習がマデ・ブラタ氏の自宅で行われるようになりました。
これを知ったバンジャール・カラー地区の演奏家が数人、一緒になって少年達に練習をつけてくれるようにもなり、ますます充実してきました。
マデ・ギナ氏、カチュン・スパルタ氏、ヌンガー氏、アデ・カマンダヌー氏。この四名が、マデ・ブラタ氏とともに、少年達につきっきりで、笛の吹き方から、楽曲のメロディの伝達までを行いました。

Seka Gong Suling Kawi Swara Banjar Kalah Peliatan

マデ・ブラタ氏宅での練習風景

演奏家だけではありません。
マデ・ブラタ氏の妻であるニ・ニョマン・ティルタワティ(通称コミン)さんも、影で大きな援助を行いました。
練習のたびに、茶菓子を用意するのはもちろん、夜遅くにまで及ぶ練習のときには、少年達に夜食を作ったり。 また、楽団の衣装も彼女が手配をしました。

上から二番目の写真を見て頂けるとわかりますが、少女楽団のトゥナス・マラガウィの小豆色の衣装と合うように、似た色の絣(イカット、エンデ)の生地を探し回ったそうです。
コミンさんの努力のかいあって、誰がみても、この舞台で演奏している少年少女は、ひとつの同じ楽団だと思うような衣装になっています。

素敵!

二ヶ月ちょっとに及ぶゴン・スリン楽団の練習で、いくつかの古典曲を習得したカウィ・スワラ楽団は、2014年11月23日に、めでたくデビューしました。

イ・マデ・ブラタ氏の家族も楽団に参加。

左のルバブ楽器奏者は父のイ・クトゥッツ・マドラ氏、右のカジャール奏者は長男のヤンデ。 写真には写っていませんが、末っ子のデッグスも、スリン笛で参加。

セカ・ガムラン・スリン・カウィ・スワラ、これからも頑張れ!

 イ・マデ・ブラタ I Made Berata, S.Sn, M.Sn

I Made Berata, S.Sn, M.Sn

I Made Berata, S.Sn, M.Sn

イ・マデ・ブラタは、1969年4月生まれの多才な能力を持つアーティスト。バンジャール・カラー地区出身である。
父親のイ・クトゥット・マドラ氏から伝統を受け継いだウブド・スタイルのワヤンの伝統画家。優秀な楽器グン・デル・ワヤンの奏者でもある。

バリ芸術大学で学んだ後、ジョグジャカルタの芸術大学へ進み、大学院を卒業。現在は、デンパサールのISI(バリ芸術大学)で、アートクラフト課の講師を務める。その忙しい立場にも関わらず、バンジャール・カラー地区でのこのような社会奉仕活動も行い、また、プリアタン村のプラ・ダレム・グデ・プリアタン寺院では、芸能部門の役職を担当して地域に奉仕している。