レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊 by グンタ・ブアナ・サリ楽団

男性によるレゴン舞踊「レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊」初演舞台 2015年1月25日(日) グンタ・ブアナ・サリ楽団

男性によるレゴン舞踊「レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊」初演舞台
2015年1月25日(日) グンタ・ブアナ・サリ楽団

12年12月12日というゾロ目の日に、バレルン・ステージで、男性によるレゴン舞踊「レゴン・ジャヤ・パングス」のお披露目公演が行われたのを覚えておられるでしょうか?
この公演は、我々グンタ・ブアナ・サリ楽団にとって男性レゴン舞踊シリーズの第一作となる記念作品でした。
二年の時を経て、第二作目「レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊」のお披露目公演が昨晩行われました。

第一作目のジャヤ・パングスに続くストーリーとなるこのインドラ・マヤは、マヤデナワ王のマヤと、インドラ神のインドラから名付けられています。

サンクル・プティー達の祈りを妨害するマヤデナワ王と大臣のカラ・ウォン

祈りを妨害するマヤデナワ王と大臣のカラ・ウォン

実は、レゴン・ジャヤ・パングス舞踊(2012)では、舞踊の最後の部分に、このマヤデナワ王がこっそり登場しています。
次回作に繋げる予告編のようなもので、父であるジャヤ・パングス王の王位を継承するマヤデナワが、後方の母デウィ・ダヌと、前方左の父ジャヤ・パングスに挟まって舞台中央に立っていました。

このレゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊はアナック・アグン・グデ・バグース・マンデラ・エラワン氏のアイディアで、アナック・アグン・グデ・オカ・ダレム氏が舞踊を創作しています。音楽はイ・ワヤン・ダルヨ氏の指導の下、グンタ・ブアナ・サリ楽団。そして物語をいにしえの言葉でイ・マデ・シディオ氏が詠い語ってくれます。

アナック・アグン・グデ・バグース・マンデラ・エラワン氏(レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊の企画者)と記念撮影

アナック・アグン・グデ・バグース・マンデラ・エラワン氏(レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊の企画者)と記念撮影の f (カデ・フェリー)

レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊は、短期間で仕上げられた作品です。 我々グンタ・ブアナ・サリ楽団が練習に入ったのは2014年の12月ですが、実際に曲が完成したのは2015年の1月中旬。それからが集中的な練習となりました。

そして、1月25日に、プリアタン村のバレルン・ステージで初演が行われました。

マヤデナワ王を弓で撃つインドラ神のシーン

マヤデナワ王を弓で撃つインドラ神

この舞踊は、5名の男性舞踊家によって踊られます。
マヤデナワ王役 アナック・アグン・グデ・イスワラ
カラ・ウォン役 イ・マデ・アルタ・ヤサ
インドラ神役 デワ・ニョマン・イラワン
サンクル・プティー役 イ・マデ・プトラ・ウィジャヤ
バラ役 アナック・アグン・バグース・アルジュナンタラ・ステジャ

この舞踊は、レゴン・ジャヤ・パングス舞踊とは異なる舞踊のパート分けがされています。 まず、チョンドン役が現れません。曲が始まると、すぐに紹介のパート(パンレンバール)として、インドラ神、サンクル・プティー、バラの三名の役が踊ります。その後しばらくして、残るレゴンの踊り手マヤデナワとカラ・ウォンが登場し、中盤のプンガワ・パートへ進みます。

傘パジェンに化けたマヤデナワ王

傘に化けて身を隠すマヤデナワ王のシーン

物語は、マヤデナワ王とインドラ神の戦いが主なもので、それらが上手く舞踊の中で表現されています。
庶民が儀式や儀礼を行うのを常に妨害するシーン、インドラ神との戦いのシーン、マヤデナワ王が次々に姿を変えてインドラ神の追っ手から逃げるシーンなど、様々に舞台上の踊り手が踊りで表現します。
レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊は新しい創作レゴン舞踊ではありますが、それでもレゴン舞踊の型から外れることなく、プリアタンの古典レゴンや、その他の地域の既にあるレゴン舞踊から基本の動作を持ってきています。

レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊のプカーッド(エンディング)部分

レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊のプカーッド(エンディング)部分

最後のプカーッドのシーンでは、レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊に登場する五名が全て揃って踊ります。
それぞれに、別々のキャラクターの仮面を着けての登場です。
レゴン・ジャヤ・パングス舞踊のプカーッドを髣髴とさせるこの最後のシーン、とても素敵です。

Pekaad : Legong Nandira Indra Maya

レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊
グンタ・ブアナ・サリ楽団(一部メンバー)
舞踊創作:AAグデバグース氏、AAオカ・ダレム氏
音楽作曲:イ・ワヤン・ダルヨ氏、唄い手:イ・マデ・シディオ氏

我々グンタ・ブアナ・サリ楽団は、このレゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊の初演を無事に終えて、感謝しています。
Matur Suksma!

レゴン・マヤデナワ物語

様々な説が存在しますが、イ・マデ・シディオ氏の解説による内容を記載しています。

プラナ・バリドゥイパというロンタール(椰子の葉に書かれた書物)や、ティルタ・エンプル寺院に残る碑文によれば、バリ島にマヤデナワという名の王が居たと書かれている。
彼はジャヤ・パングス王と、女神デウィ・ダヌの間に出来た息子である。
前述のロンタール書の中ではマヤデナワの王国の場所ははっきり書かれておらず、バリンカン地方に王国の中心があったという説などがあり、父のジャヤ・パングス王に次ぐ二代目のダレム・バリンカン国王と伝えられている。

母親が女神であったマヤデナワ王は、人間だけでなく、魔物や神にも勝てる能力を授かっていた。
そのため、次第に傲慢になっていた王は、自分こそが最強の存在であり、崇拝される対象であると思い込み始め、国民が聖地で儀式を行ったり、寺院へ赴くことさえも禁じていた。

司祭サン・クルプティ(別名アルヨ・ワン・ バン・マニック・アンケラン)は、ブサキ寺院へ参詣し、神々に助けを乞う願いを行った。
その結果、インドラ神がマヤデナワ王を退治するために遣わされることになり、天界から降臨して来た。
そして、現在のティルタ・エンプル寺院がある場所で、インドラ神によって、ダソ・マラと言われる十の汚れを清める水の流れが創られ、マヤデナワ王は倒された。

balitaksu.com/waroeng Genta Bhuana Sari Legong Nandira Indra Maya

椰子の葉に変身して隠れるマヤデナワ王
レゴン・ナンディラ・インドラ・マヤ舞踊(グンタ・ブアナ・サリ楽団)

このインドラ神との戦いの中で、逃亡するマヤデナワ王のとった行動が、その場所の地名の由来となった場所が、現在もバリ島にいくつか残っている。
インドラ神の乗った馬車が、マヤデナワ王の投げた武器によって燃えたことから、その場所は「火の橋(ティティ・アピ)」と呼ばれ、現在はタティアピと呼ばれる。
また、その能力で空を飛びながら、まるで点滅(ケラップ・ケラップ)するように姿を消したり、現したりした場所は、ラプラパン。
追っ手を欺くため、足の裏(タパック)の跡が地面に付かないよう傾けて(ミリン)歩いたから、タンパク・シリン村。
その変化能力を使って、姿を傘(パジェン)に変えた場所が、ペジェン。
怪鳥(マヌック・ラヤ)の姿に化けて身を潜めたから、マヌカヤ村。
パンノキ(ティンブル)の姿に化けた場所は、ティンブル村。
椰子の葉(ブスン)に化けたから、ブルスン村。
椰子の樹(セセー)に化けたから、プニュスハン村。
天女(ビダダリ)に化けたから、クデワタン村。
その他にも、ムラヤン地区、センブウック地区、サンディン村、マンチャワルナ地区などがある。
そして最後は、平野に追い詰められ(現在のサレスダ地区)インドラ神から射られた矢にあたって、マヤデナワ王は血を流しながら倒れた。流れ出た血は川となり、その後プタヌ川と呼ばれるようになった。
プタは「声」、ヌは「未だに」という意味で、王が死ぬ直前、この川の水は1000年の間、水田に引くなと言い残したためだといい、この水で育てると、稲穂を刈る時に稲幹から血が流れ出てくるといわれている。

また、マヤデナワ王の死を記念して、この日は、善や正義(ダルマ)が、邪悪なもの(アダルマ)に勝利した日とされ、現在ハリ・ラヤ・ガルンガンの日として、バリ・ヒンドゥー教徒に祝われている。