カン・チン・ウィー物語(バロン・ランドゥン)

Kang Cing Wie

「バロン・ランドゥン」という名前を聞いたことがありますか?

バロンは、バリ島の寺院に祀られている動物の形をした御神体ですが、
寺院によっては、御神体として、人間の形をしたバロンを祀っている所があるのです。
我々の住むプリアタン村の寺院にも、この人間のバロンが祀ってあります。
バロン・ランドゥンと呼ばれる御神体は、男性と女性の一対の巨大な人形で、
伝説の ジャヤ・パングス王 と、妻の カンチン・ウィー王妃 の姿を模しています。

ジャヤ・パングス王のバロンを、この地域ではジェロ・グデと呼び、裸の上半身は真っ黒で、顔にも真っ黒な仮面をつけています。
対して、ジェロ・ルーと呼ばれるカン・チン・ウィー姫は、バリの仮面には珍しく、目が細くデフォルメされた真っ白な顔が特徴です。
というのも、この姫は中国からやってきた花嫁なのです。

Kang Cing Wie
作品の出演者(白い衣装が監督のジマット氏、両脇が人形の遣い手)

今年のチャイニーズ・ニューイヤー(春節)は、2013年の2月10日でした。
バリ島では「ティレム・カウルー」と呼ばれる新月の日です。
この春節を祝う目的で、ヌサ・ドゥア地区の会場で、中国とバリ島に繋がりがある「カン・チン・ウィー」伝説のバリ舞踊劇が上演され、
m (mayumi inouye)は、カン・チン・ウィーの役を踊らせてもらいました。

Kang Cing Wie

この会場では、バリの古典をゲストに観てもらうプログラムが頻繁に組まれており、バリ島各地からいくつかの楽団が定期的に公演を行っています。
その中のひとつが、プリアタン村のタガス・カンギナン地区の楽団
「ダルマ・プルワ・ジャティ=Dharma Purwa Jati」
スマル・プグリンガンという楽器を所有するこの楽団は、ダグラス・マイヤー(Douglas Myers)氏によって結成された財団の元で活動しています。

春節の公演のために、マイヤー氏は著名なバリ舞踊家「イ・マデ・ジマット(I Made Djimat)」氏をディレクターと、踊り手として招待しました。
数回の練習を経て、フラグメン・タリ舞踊劇「バロン・ランドゥン物語」が完成しました。

この舞踊劇は、前述のジャヤ・パングス王(Raja Sri Jaya Pangus)と、カン・チン・ウィー王妃(Kang Cing Wie)の物語です。
ストーリーは諸説ありますが、今回はディレクターのジマット氏の解釈のバージョンの物語で踊ります。

ジャヤ・パングスとカン・チン・ウィーの物語

乗っていた船が難破して、バリ島に流れ着いた中国人女性カン・チン・ウィー。
その美しさにジャヤ・パングス王は、ひとめぼれし、
自分の王宮へ連れ帰り、その後、二人は夫婦となりました。

幸せな結婚生活を行っていましたが、なかなか子宝に恵まれません。
そこで王は、瞑想と修行のために独りでバトゥール山へ山籠もりに行きます。
ところが、その地で、湖の女神デウィ・ダヌ(Dewi Danu)の誘惑を受けます。
自分は独身だと嘘をついた王は、女神と恋仲になり、子供を授かります。

王妃カン・チン・ウィーは、長く戻らない夫を心配して、バトゥール山へ探しに行きますが
そこで、夫と女神、その息子が一緒にいるところを見つけ、驚嘆します。
王妃だけではありません、女神も、自分が騙されていた事を知って、驚きます。

王妃は、夫を取り戻そうと女神に戦いを申し出ます。
怒り狂った女神は、自分の母親バタラ神(Bhatari Danu)を呼びだし、
事の詳細を報告します。

バタラ神の怒りをかったジャヤ・パングス王とカン・チン・ウィー王妃は、
その手にかかって、この世から滅ぼされてしまいました。
この事を知って悲しんだ王国の国民達は、二人の姿に似せた人形を作って、
祀るようになりました。

これが、バロン・ランドゥンの起源です。

Kang Cing Wie
背の高い人形がバロン・ランドゥン

今回の公演では、ジャヤ・パングス王、カン・チン・ウィー王妃、デウィ・ダヌ女神、バタラ・ダヌ神。そして、ジェロ・グデと、ジェロ・ルーのバロン・ランドゥンを演じる6名が、楽団の演奏で踊り&演じました。

このような重要な役柄を踊らせてもらった事に m は感謝します。
バリ舞踊の中で、中国っぽい雰囲気を出すため、京劇を参考にメイクや衣装を考えました。
裾や袖の長さがあるので、果たして踊れるのか?と心配もしましたが、他の踊り手の助けも借りて、パフォーマンスは順調でした。

Matur Suksma!

GONG XI FA CAI (恭喜發財) 2564年!
新年おめでとうございます!