プリアタン村はプレゴンガン演奏だけが有名なわけではなく、クビャール演奏についても、ひじょうに長い歴史を持っている。
プリアタンのクビャール(kebyar)は、故イ・マデ・ルバー氏、故アグン・マンデラ氏、そして、一緒にバロンやアルジョ舞踊のンゲラワン(練り歩き)を頻繁に行っていた友人達によって広げられていった。
このンゲラワンで、ギアニャールやクルンクン、さらにはブレレンなどバリの各地方へ呼ばれて渡り歩いていた頃に、バリ北部のブレレン地方ムンドゥック村へ行ったときのことだった。
そこで初めて彼らは「ゴン・クビャール」という編成の激しい演奏に出会ったのだった。
その衝撃と感動で、彼らはいつの日にかプリアタンでもゴン・クビャール楽団を作りたい!
という熱い思いを胸にした。
1926年、その夢は、セカ・ゴン・プリアタン(後のグヌン・サリ)結成として実現された。
グヌン・サリ楽団は、多くの快挙を持っている。
1931年フランスのパリ公演に始まり、1952年 アメリカとヨーロッパ公演、1971年 オーストラリア公演、1981年 メキシコ公演、1996年 アメリカ公演、そして1998年 ヨーロッパ公演。
これらの活躍を基点に、次の世代のプリアタンの芸術家達が生まれていった。
グヌン・サリ楽団が籍を置いていたプリ・カレラン王宮からは、後に
1978年にスマル・プグリンガン楽器を使うティルタ・サリ楽団
1992年にはグヌン・サリ楽団と同じくゴン・クビャール楽器を演奏する、若手のグンタ・ブアナ・サリが輩出された
このグンタ・ブアナ・サリ楽団が、kadek ferry ( f ) の所属する楽団である。
ここで f はグヌン・サリ楽団の故イ・ワヤン・ガンドラ氏、グスティ・アジ・パンクン氏、グスティ・クトゥット氏、ティルタ・サリ楽団のイ・ワヤン・ウイジャ氏、イ・ワヤン・ダルヨ氏などから演奏の指導を受けた。
そして、グンタ・ブアナ・サリ楽団のメンバーとして、 f は、この8月末に、古典のクビャール向け演奏曲と、プリアタンで昔踊っていた踊り子(Pregina)による舞踊という構成の公演を披露した。
「ザ・パワー・オブ・クビャール」
2013年8月14日 演奏グンタ・ブアナ・サリ
Sekaa Gong Kebyar Genta Bhuana Sari and all Peliatan dancers
Photo Doc. f studio 2013
同じ会場では、数日前にグヌン・ジャティ楽団とティルタ・サリ楽団によるプレゴンガンの競演「ザ・スピリット・オブ・プリアタン・レゴン」が行われ、そのうっとりする音色が観客を酔わせた。
そして、この日のテーマは、「ザ・パワー・オブ・クビャール」
激しいクビャールの醍醐味を生かした古典作品と舞踊が、グンタ・ブアナ・サリによって用意された。
1. 楽曲 クビャール・ススン TABUH KEBYAR SUSUN
オープニングの曲として演奏された楽曲「クビャール・ススン」は、1964年に故イ・ワヤン・ガンドラ氏が作曲したクビャール曲だ。
我々グンタ・ブアナ・サリは2000年に、故ガンドラ氏から直接この曲を教わった。
この時、グンタ・ブアナ・サリは、「クビャール・ススン」以外に「スカール・ジュプン(1968年)」「ウジャン・マス(1957年)」「スカール・ジャヤ(1967年)」「ガンバン・スリン(1962年)」、「プナリック・ベチャッ(1966年)」「ブラタ・ユダ(1963年)」そして「ファジャール・ムニィンシン(1966年)」という故人の大作の多くを直接教授してもらう機会を得た。
故イ・ワヤン・ガンドラ氏の1980年代の姿(プリアタン村グヌン・サリ楽団の共同ディレクター)
写真提供イ・マデ・スカンダ氏
故イ・ワヤン・ガンドラ氏は、その父であった 故イ・マデ・ルバ氏亡き後、ガムラン指導者として、また演奏家として一時代を築いたマエストロである。
父の故ルバ氏同様、故ガンドラ氏もプリアタン・グヌン・サリ楽団の長いククビャーランの歴史に大きな貢献を果たしたメンバーである。
太鼓の奏者としてでなく、楽団を率いる舵取り役として故アナック・アグン・ラカ・バワ氏とともに、楽団の前世代の築いてきた偉業を更に強固なものとした。
1971年のグヌン・サリ楽団による30日もの長きに渡るオーストラリア・ツアーがそうだ。
このツアーにおいて、先ほど述べた「スカール・ジュプン」「カピ・ラジャ」や「ガンバン・スリン」を演奏し、成功を収めた。
一人のガムラン指導者としてバリ島各地に曲を広めただけでなく、アメリカにあるカリフォルニア大学・ロサンジェルス校(UCLA)においても、1962年から1964年の間バリ島の音楽を教えた。
2. ペンデット舞踊プリアタン・スタイル TARI PENDET PELIATAN
インストゥルメンタルの次は、歓迎の舞踊ペンデットが、プリアタンのシニア・ダンサーによって踊られた。今では滅多に踊られなくなった、古いスタイルの振りを入れたペンデットであった。
ペンデットの踊り子:スリ・ウタリ、ルー・マン・スリアシ、デサック・プトゥ・ウィディ、スルヤ・ジェランティック、グスティ・アユ・ラカ
写真提供 f studio 2013
ペンデット演奏:グンタ・ブアナ・サリ楽団
写真提供 f studio 2013
ペンデット舞踊は、儀式で踊られているプペンデタン舞踊を元に創作された歓迎の舞踊だ。
1960年代に、当時のインドネシア大統領スカルノ初代大統領がバリ島タンパクシリンに建てていた御用邸において迎賓客のために踊る歓迎の舞踊としてペンデット舞踊をプリアタンから招き、この頃から進化しはじめた舞踊だ。
プリアタンのプリアタン王宮や、プリ・カレラン王宮でも賓客を迎える際、このペンデットが頻繁に踊られた。
1960年代のプリアタンのペンデット舞踊隊
写真提供 ブラントリシュナ・ジェランティック
タンパクシリンの御用邸において、初代大統領スカルノ氏に感謝の意を述べられる踊り子達(1960年代)
写真提供 ブラントリシュナ・ジェランティック
3. タルナ・ジャヤ舞踊 TARI TERUNA JAYA
次に、グンタ・ブアナ・サリ楽団はタルナ・ジャヤ舞踊を披露した。
グンタ・ブアナ・サリ楽団は、故イ・ワヤン・ガンドラ氏と、グスティ・クトゥット氏、グスティ・アジ・パンクン氏によってプリアタン・スタイルのタルナ・ジャヤ舞踊の演奏を教わった。その後、タルナ・ジャヤ発祥の地シンガラジャからクランチャ氏を迎えて、ブレレン・スタイルのバージョンのタルナ・ジャヤ舞踊も学んだ。
今回、「ザ・パワー・オブ・クビャール」で披露したのは、プリアタン・スタイルの方だ。
プリアタン村のサンガル・バレルンの講師であり、舞踊家であるアナック・アグン・ラカ・アストゥティ女史によるタルナ・ジャヤである。
アナック・アグン・ラカ・アストゥティ女史によるタルナ・ジャヤ舞踊
写真提供 f studio 2013
グンタ・ブアナ・サリの太鼓奏者ニョマン・プトラ・ラスタナ(マンディン)とタルナ・ジャヤ舞踊家の絡み
写真提供 f studio 2013
4. クビャール・トロンポン舞踊 TARI KEBYAR TEROMPONG
アナック・アグン・オカ・ダレム氏によって踊られたクビャール・トロンポン舞踊。この舞踊は、踊り手がトロンポン楽器を演奏しながら踊るというものだ。
タバナン出身の故イ・クトゥット・マリオ氏によって創作された舞踊である。
オカ・ダレム氏のクビャール・トロンポン舞踊
写真提供 f studio 2013
グンタ・ブアナ・サリ楽団演奏、オカ・ダレム氏のクビャール・トロンポン舞踊
写真提供 f studio 2013
5. オレッグ・タムリリンガン舞踊 TARI OLEG TAMULILINGAN
この公演では、マエストロ、グスティ・アユ・ラカ・ラスミ女史によるオレッグ・タムリリンガン舞踊もあった。途中、女史は別の踊り手と入れ替わって、後半のデュエット部分はオカ・ダレム氏と若いダンサーで踊られた。
故イ・クトゥット・マリオ氏によって創作されたこの舞踊は、1952年にプリアタン村のグヌン・サリ楽団が、アメリカとヨーロッパを巡るツアーに出た際に、特別に作られた舞踊だ。
この当時、踊り手だったグスティ・アユ・ラカ女史は、まだ12歳。
デュエットの相手は故イ・クトゥット・マリオ氏の弟子のイ・サンピ氏。
グスティ・アユ・ラカ女史は、この時、小さなスターとして、観衆を大いに沸かせた。
グンタ・ブアナ・サリ楽団演奏、グスティ・アユ・ラカ・ラスミ女史によるオレッグ・タムリリンガン舞踊
写真提供 f studio 2013
今年74歳になる女史であるが、踊り子としてのオーラに全くその年齢を感じさせなかった。
「ザ・パワー・オブ・クビャール」のタイトルにふさわしいその踊りに、観客は、そのパワーに大きな拍手を送った。
左:グスティ・アユ・ラカ・ラスミ女史と弟子のアグン・リタ女史
右:アグン・リタ女史とオカ・ダレム氏
写真提供 f studio 2013
6. クビャール・ドゥドゥック舞踊 TARI KEBYAR DUDUK
1952年のグヌン・サリ楽団のアメリカ&ヨーロッパ・ツアーでは、上記オレッグ・タムリリンガン舞踊とともに、イ・サンピ氏によって踊られるクビャール・ドゥドゥック舞踊も持参された。
この1952年の活躍は、グヌン・サリ楽団の歴史にとって、重要な記録だ。バリ島の楽団としては、初めて、クビャール楽器による編成の激しいガムラン演奏を披露し、この後の名声を射止めたのだ。
アナック・アグン・バグース氏によるクビャール・ドゥドゥック舞踊
写真提供 f studio 2013
グンタ・ブアナ・サリ楽団のエネルギッシュな太鼓奏者イ・ワヤン・ジュニアルタ(エビット)と踊りながら絡むクビャール・ドゥドゥック舞踊家
写真提供 f studio 2013
この夜の「ザ・パワー・オブ・クビャール」において、クビャール・ドゥドゥック舞踊が舞台のトリを飾る舞踊であった。
アナック・アグン・グデ・バグース・エラワン氏の独特の解釈とスタイルによって踊られたエネルギッシュな動きは、クラッシック風の衣装をまとって踊られた。
現在プリアタン村で演奏されているクビャール・ドゥドゥック舞踊とは異なる、1952年にグヌン・サリ楽団がアメリカ&ヨーロッパ・ツアーに持参したバージョンのクビャール・ドゥドゥック舞踊であった。
グンタ・ブアナ・サリ楽団は、このクラッシックなバージョンのクビャール・ドゥドゥック舞踊を、マエストロから直接、長い時間をかけて教わり、プリアタン村の消えつつあったスタイルの復興という目的で、ここ数年は、このバージョンを頻繁に演奏している。
Matur Suksma! Terima Kasih!
オレッグ・タムリリンガン舞踊の踊り手でありマエストロの
美しいグスティ・アユ・ラカ・ラスミ女史との
なんともステキな瞬間・・・
2013年8月14日
グスティ・アユ・ラカ・ラスミ女史と f