プリアタンから出演の芸術家は、バリ島で最初に海外へバリ芸能を持参したグヌン・サリであった。 グヌン・サリ楽団は、1931年に、フランス・パリでの植民地博覧会へ招待された。演奏家と舞踊家のみでなく、プリアタンの画家や彫刻家も同行し、当時のヨーロッパの芸術家集団の間でバリ旋風を巻き起こし、バリ島の知名度を上げた。 1933年に書かれた本「Peliatan Legends」によると、グヌン・サリは、1937年に当時のオランダ植民地政府によりギアニャールの広場に於いて開催されたガムラン・ゴン・クビャールの競技会で、優勝旗を獲得。 その賞品として1年間の間、グヌン・サリ楽団のメンバーは植民地政策の「道路作りの作業」を免除されたそうだ。 Mengenang Sang Guru Press Release at Istana Presiden Tampaksiring. From the left : President Sukarno, Ayu Bulantrisna Djelantik, (?), Suryawati Djelantik, A.A.Gde Bagus Mandera Erawan (Photo Doc. Bulantrisna Djelantik) その後、1950年代に入るまでは、プリアタンの芸術活動は、不安定な時期に見舞われた。 ジョン・コーストの著書「Dancing Out of Bali」には、プリアタンのジャンゲール舞踊グループのリーダーで、踊り手であった女性がアンボン軍司令官に誘拐されて結婚させられた、という記述がある事でも明らかだ。 インドネシアの革命期において、バリは軍事政権下に置かれているようなものであった。 しかしイギリス人ジョン・コーストはバリのガムラン・グループをヨーロッパへ連れて行くという情熱を捨てられなかった。そして遂に1952年、スカルノ初代インドネシア大統領によってアメリカとヨーロッパのツアーへプリアタンの楽団を連れていく許可を受け、さらには支援まで受けることに成功した。 これは後に1971年のオーストラリア公演、1981年のニュー・ヨークとメキシコ公演まで続くのであった。 Mengenang Sang Guru Sekaa Gong Gunung Sari - Musicians 何度かの世代交代があったものの、現在でもグループは活発な活動を続けている。 今夜(2007年8月26日)は、オープニングを飾る曲として楽曲「カピ・ラジャ(Kapi Raja)」がグヌン・サリによって演奏された。 古典のクビャール曲「カピ・ラジャ」はバリ島北部から流れてきたダイナミックなスタイルを持つ曲。オープニングに奏でるにふさわしいダイナミックな曲として非常にポピュラーである。グヌン・サリ楽団は、この曲をイ・マデ・ルバー(I Made Lebah:グヌン・サリ奏者1996年没)から習い、マデ・ルバーのアドバイス通りに、当時は毎回公演の最初に演奏したそうだ。また、ヨーロッパやアメリカをツアーする際にも必ずオープニング曲として演奏した。 楽曲カピ・ラジャの後には、プリアタンのウェルカム・ダンス「ペンデット(Pendet)」が踊られた。 この古典の歓迎の舞踊は、寺院で儀式の際に踊られている神聖な奉納舞踊「プペンデッタン」を元に創られたものだ。 今夜は1970年代の踊り子8人によって、独特のスタイルで踊られた。 Mengenang Sang Guru Gunung Sari - Pendet: Luh Mas, Jero Puspa, Jero Winari, Suryawati Djelantik, Gst Ayu Raka, Nyoman Remini, Dayu Agung Anggraini, Cok Parmini 踊り手 ルー・マス(Luh Mas) ジェロ・プシュパ(Jero Puspa) ジェロ・ウィナリ(Jero Winari) スルヤワティ・ジェランティック(Suryawati Djelantik) グスティ・アユ・ラカ(Gst Ayu Raka) ニョマン・レミニ(Nyoman Remini) ダユ・アグン・アングライニ(Dayu Agung Anggraini) チョコルド・パルミニ(Cok Parmini) 「このペンデットはスカルノ初代大統領のリクエストで、タンパクシリンの大統領別荘で行われる行事でのオープニングとして、特別に作られたものなのよ」踊り手達が私[f]に、そう教えてくれた。 海外からの賓客のために歓迎の舞踊をというスカルノ大統領のアイディアで、寺院で神々の降臨を歓迎する舞踊を舞台用にアレンジしたそうだ。 +++++ 著者 : kadek ferry © f-studio 写真提供 1 : Doc. Ayu Bulantrisna Djelantik (MSG - Press Conference) 写真提供 2&3 : Doc. Mengenang Sang Guru 2007